外国人問題という表現に違和感を覚える

選挙において「外国人問題」が論点となることがあるが、私はこの表現自体に強い違和感を覚える。「問題」とされることにより、まるで外国人が日本社会にとって厄介な存在であるかのような印象が生まれてしまうからである。私は、日本が直面している少子高齢化という現実に対して、外国人が労働力として日本に来てくれることに大いに賛成であるし、外国人であることを理由に権利を制限する考え方には反対である。

確かに、外国人観光客や外国人労働者の一部にマナーの悪さが指摘されることもあるが、それは個人の問題であり、「外国人だから」という偏見で語るべきではない。日本人の中にも公共の場でマナーの悪い人はいるし、外国人のすべてがそうであるかのような決めつけは公平さを欠く。むしろ、多くの外国人が日本社会に溶け込もうと努力し、仕事や地域活動を通して貢献してくれている現実がある。

また、外国人労働者の中には住民税や社会保険料を納めている人も多く、生活の基盤を日本に置いて暮らしている。税金を支払っている以上、日本人と同じように社会保障を受ける権利があると私は考える。生活保護もその例外ではない。国籍の違いだけで権利に差をつけるのは不当であるし、「外国人だから支援を制限すべきだ」という考えは、排他的な差別の温床になりかねない。

さらに、地方参政権についても、一定の条件(納税・長期滞在など)を満たしているのであれば、付与してよいと考える。地域社会に根ざして暮らしている人が、その地域の政治に参加できないというのは不自然であるし、共に社会を支える一員として認めることが、共生社会の第一歩になる。

このように考えると、「外国人問題」という言葉自体が、必要以上に対立をあおる表現であるように思える。私たちは外国人を「問題」ではなく、「共に生きる仲間」として迎え入れる姿勢を持つべきである。人は皆、国籍の違いを超えて尊重されるべき存在であり、税を負担している限り、平等な権利を認めるべきだと私は強く考える。